近代史を動かしてきた「見る欲望」〜写真と映像が担う役割とは〜

山内宏泰さんと「見える」の歴史を読む

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Writer:山内宏泰

2024/12/24

近代史を動かしてきた「見る欲望」〜写真と映像が担う役割とは〜

絵画から写真や映像へと「記録」が変化していきます。「見る」から重要なデータ素となることで世界はどう変わるのでしょうか。美術・文学に造詣が深い山内宏泰編集長と探っていきます。

絵画から写真術へ「眼」の発展

 前回は絵画の誕生と発展を追いかけた。人類が「見る」を進歩させる手段とした絵画の世界では、19世紀に大きな転換があった。外界を感じたままに写し取る印象派が現れ、視覚を正確に記録し留めたいという欲望がひとつの到達点に至ったのだった。

 絵画はその後写実から離れていき、見たまま・ありのままを記録する役割は、写真や映像が担うようになっていく。この流れを見てみたい。
 写真や映像が発明され技術として定着するのは、眼の欲求が大いに高まった19世紀のことだ。

“Antique woodcut, showing a schematic view of a daguerreotype camera. Illustration from a book in Physics from 1883.A: brass tube with an achromatic condensing lens; B: groove; C: wooden case; D: milled head; E: ground-glass plate for composing the scene; then replaced with the sensitised photographic plate.”

 まずは写真術が、19世紀前半の欧州で誕生する。複数の発明者が同時多発的に着想し、それぞれに技術を確立していった。

 写真の原理自体は、じつはかなり古くから知られていた。古代ギリシアの哲学者アリストテレスは著作の中で、写真に通ずる光学現象について言及している。小さい穴を光が通過すると投影像が得られることを、日食時の木漏れ日を例にとって解説したのだ。

 11世紀にはイスラム圏の大学者イブン・アル=ハイサムが、『光学の書』で同じ現象を取り上げ、レンズに関する記述も多数残している。

 小穴投影現象の原理を使った装置に、カメラ・オブスクラがある。平面に映し出した投影像をなぞれば、実物そっくりに絵を描けるようになっており、ルネサンス以来多くの画家が制作に活用してきた。

 カメラ・オブスクラは年を経るごと普及し定着していくが、そうなると今度は投影された画像を定着できないかという欲望が生まれる。各地に挑戦者はいたものの、なかなか課題を解決するには至らない。

「眼」の発展から「映像の世紀」

最初に成功をみたのは、フランスのジョゼフ・ニセフォール・ニエプスだった。みずから開発したヘリオグラフィ技法を用いて1827年、「ル・グラの自宅窓からの眺め」と題した写真をつくり出す

“Antique illustration of camera obscura, optical device that projects an image on a screen. Published in Systematische Bilder-Gallerie, Karlsruhe und Freiburg (1839).”

 その後は新技法が相次いだ。同じくフランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールは1839年、独自のダゲレオタイプ技法を開発し公表した。追いかけるようにして1841年ごろ、英国のウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットは、複製可能なカロタイプを完成させた。
 ほかにも多くの技法が出ては消えを繰り返しつつ、写真術自体は洗練されていく。解像度が上がり、露光時間は短縮され、カメラ機器の軽量・小型化も進み、世界中に急速に普及していった。

 映像のほうは、写真に遅れることおよそ半世紀、かの発明王トーマス・エジソンが1891年、キネト・スコープなるテクノロジーを発明した。
これは箱を覗き込んで動く絵柄を眺めるかたちだったので、現在の映像体験とは少々趣が違った。
 次いで1895年、リュミエール兄弟がシネマトグラフを発明する。こちらはスクリーン上映できたので、現在と同じような映像体験が早くも得られることとなった。

 20世紀になるとこの技術が発展して映画となり、あっという間に産業として発展する。
さらには1936年、英国で世界初のテレビ放送が始まる。映画とテレビという映像メディアは人々の圧倒的な支持を受け、存在感を増し続け、いつしか20世紀が「映像の世紀」と呼ばれるまでになった。

「眼」がデジタル化し映像データへ

 20世紀も末になると、写真・映像にはデジタル化の波が押し寄せてきた。
 写真のデジタル化技術は1970年代から開発が進み、80年代には実用レベルへと達していた。1995年、日本でカシオが、世界初の液晶付きデジタルカメラ「QV10」を販売開始。この機種は25万画素という性能だった。

 2000年代に入るとデジタルカメラは低価格化と高画質化が急速に進む。日本では2005年、デジタルカメラとアナログカメラの出荷台数が逆転した。
 写真、そして映像においてデジタルがアナログを一気に駆逐したのは、画像の鮮明さ・美しさが格段に進歩したというのもあるが、デジタル画像・映像が社会のインフラと化したからだ。21世紀になると世はあまねくIT化し、生活はデジタルテクノロジーで覆い尽くされていく。

 そうした社会において画像と映像は、最も基礎的かつ重要なデータ素として、大きな役割を果たすこととなる。
風景か肖像かを問わずあらゆる画像・映像はデータセンターで蓄積されデータベース化され、テクノロジーのさらなる発展や利便性アップに寄与しているのだ。

 ますます猛スピードで進展するであろう情報化社会にあって、「見る」ことから生まれた写真・映像データは、世界の根幹を成す最重要の要素となっている。

著者紹介 About Writer

山内宏泰
ライター。美術、写真、文芸について造詣が深い。
著書に『写真のフクシュウ 荒木経惟の言葉』(パイインターナショナル)『写真のフクシュウ 森山大道の言葉』(パイインターナショナル)『上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史』(星海社新書)など。
「見える未来文化研究所」の共同編集長。

この連載について About Serial

山内宏泰さんと「見える」の歴史を読む

美術・文学に造詣が深い山内宏泰編集長と、「見える」の歴史を探ります。

  1. 01 「見える未来文化研究所」眼はどうして生まれたか〜生命史を画する「眼の出現」OGP
  2. 02 「見える未来文化研究所」眼のしくみ〜なぜものは見えるのか〜OGP
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  4. 05
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