Writer:山内宏泰
2021/05/16
藤田清(藤田美術館館長)対談 「 よき『眼』を持つこと、『見ることのアーカイブ』が、 これからの時代のインフラになる理由」
収蔵品数は国宝9件と重要文化財53件を含むおよそ約2,000件。大阪にある藤田美術館は、古くからその名を広く轟かせています。
現在はリニューアル期に入っている館に、藤田清館長を訪ねました。
セーフィー代表・佐渡島と藤田館長に、深くて長いご縁があることから実現した対談の様子を、どうぞ。
佐渡島
僕らは幼馴染みでして。生まれ育ったそれぞれの神戸の家が、すぐ近所でした。
藤田
思い出すと本当に懐かしい。だって幼稚園にも小学校にも、毎日一緒に通っていたんですから。
佐渡島
放課後もいつも遊んでましたね。道端の側溝でザリガニとったりして。そのころはまさか、こうして館長を務める美術館を訪ねることなんて想像もできなかった。
藤田
そうですね。私は大学を卒業してすぐ、うちの家系が守ってきた藤田美術館に入りました。
佐渡島
そうして2013年から館長になって、現在は2022年のリニューアルオープンを先導しているわけですね。
藤田
はい、1954年の開館から60年以上経っているので、次代へ受け継ぐためにここでリニューアルをしておかねばということに。
佐渡島
藤田美術館といえば、関西の人には古くから馴染み深い場所。世界に三つしか同種のものが存在しない『曜変天目茶碗』などの国宝9点を含み、名品ばかりが揃っているとして知られていますね。
藤田
そう見ていただけているとしたらありがたいです。明治時代に実業家として活動した藤田傳三郎の蒐集品に、息子の平太郎、徳次郎のものを加えて、コレクションは形成されています。
佐渡島
明治の偉人は文化に造詣の深い人も多いですよね。中でも藤田コレクションは、三菱、三井、住友、大倉といった他の財閥にも増して充実しているそうですけど、これはなにゆえ?
藤田
萩の出身の藤田傳三郎は、もともと若いころから物数寄だったというのがまず第一。それに、志も強く持っていたようです。明治維新以降、日本の優れた文化財が国内で散逸したり、海外へ流出したりするさまに、非常に危機感を覚えていた。そこで、自分の財を用いてそれらをひとつところに留めておこうとした。
佐渡島
コレクションを美術館で公開するようになったのも、藤田傳三郎の志を継ごうというところから?
藤田
そうです。傳三郎が集めたのは「国の宝」であり、私有物として秘蔵するべきではないという意識が、藤田家には伝わっていたのですね。
大阪の都島区網島にある藤田家の邸宅は、1945年の大阪大空襲で焼失しています。その際、敷地内の蔵だけはかろうじて残り、中に収めていた美術品も守られました。
その蔵を展示スペースに改装するかたちで、戦後に美術館はオープンすることとなります。
佐渡島
それ以来、「蔵の美術館」として親しまれてきたのですね。そんな藤田美術館をいま、このタイミングでリニューアルすることとなったのはなぜだったんですか。
藤田
老朽化の問題が大きかったです。蔵を展示空間にしていたので空調もなく、これまで夏の暑さ、冬の寒さが厳しい時期には美術館を開けられなかったんですよ。
昨今は猛暑日が続いたりするようになって、もうまったく対応できなくなってきた。
そろそろどこかで、抜本的に手を入れなければいけなかった。だったらいま、思い切って次の百年を目指してやろうと決断しました。
敷地の使い方から建築まで、すべてイチからつくり直すという大規模な計画になりました。その際に重視したことがひとつ。丁寧に記録をとり、アーカイブを残したいと考えました。
庭に置かれた多宝塔を移築したり、収蔵庫の棚板を床板として再利用したりと、モノをできるだけ引き継ぐことにはあらゆる手を尽くしていますが、それだけじゃ足りない。
建て替えなどリニューアルの過程そのものも、「引き継ぐべきもの」として考えたかったんですよ。
というのも、美術館の建て替えとか、百年建っていた建築の取り壊しなんて、そうそう機会はありません。次の世代が何かをしようとするとき、僕らの経験が役立ったらいいと思っているのです。
佐渡島
なるほど、僕らの時代に巡ってきた美術館リニューアルという経験が丸ごと、「価値」になると考えたわけですね。
藤田
そうです。それで最初は定点で写真を撮っていたんですけど、映像記録としてもしっかり残すべきだと思った。いい方法はないかなと考えていて、ふと思い出したんですよ。そうだ、セーフィーがあるぞ、ここは相談すべきだと(笑)。
佐渡島
思い出してくれてありがとうございます(笑)。そこで、美術館リニューアル工事の様子すべてを、Safie GOという建設用カメラで撮影していくことになり、現在継続中です。
一定間隔で連続撮影した静止画をつないで、長い時間のうちの変化を短時間に編集して見せる「タイムラプス」のかたちで、誰もが興味深く工事プロセスを観られるよう仕上げたらいいと思っています。
この取り組みは、貴重な記録を留め、歴史を残していく作業だと感じています。
建物の建設などが終わり、館内に美術品を入れていくなど仕上げ段階を迎えたら、新しいウェアラブルカメラのSafie Pocket2でその様子を事細かに撮影していくのもいいですね。いっそう記録として価値を持つようになると思います。
藤田
ぜひそうしましょう。文字による記録も確実でいいのですが、情報量の豊富さでいえば映像がダントツなので、存分に活用したいです。何はともあれ、ものを見るのがいちばん話が早いですからね。
佐渡島
映像アーカイブなどのまとまった情報を、ひとつの重要な「インフラ」とみなすというのは、これから重要な考え方になっていくでしょうね。
思えば藤田財閥を築いた藤田傳三郎も、建設、電気、鉄道、鉱山経営や干拓業まで……。幅広く事業を展開して、インフラの整備に注力していたように見えます。インフラを重視するのは、ひょっとすると藤田家の伝統ですか?
藤田
傳三郎の生きた時代というのは、明治維新によって世の中がガラリと刷新されてばかりのころ。
これからの日本はどうあるべきか、どうすれば力強く生き残っていけるか……。傳三郎のような立場の人たちは、それしか考えていなかったんだと思います。
当時の日本の現状を見渡したとき、とにもかくにもインフラの整備をせねばとなるのは当然でしょうね。
電気を津々浦々で活用できるようにしないとヨーロッパ列強には張り合えないぞ、だとか、鉄道も早急に通さねばいかん、とか。
社会と時代が必要とするものを、リーダーたちは急ぎ整えていった。傳三郎は実業家でしたが、そのとき儲かる・儲からないといったことは二の次だったんじゃないでしょうか。
佐渡島
その時代・社会が必要とする基盤、それがインフラというもの。だから、何がインフラであるかは刻々と変わっていくものなのでしょうね。
藤田
そう、これからは映像がインフラになるには間違いない。それに、美術品や美術館もきっと重要性が増して、人の生活に欠かせぬインフラとなっていきますよ。
私たち藤田美術館の活動も、美術館や美術がこんなに楽しいんだ!と実地に示すものにしていきたいと思っています。
佐渡島
美術館ができていく過程をしっかり映像に収めつつ、オープンの日を楽しみに待っています。
著者紹介 About Writer
- 山内宏泰
- ライター。美術、写真、文芸について造詣が深い。
著書に『写真のフクシュウ 荒木経惟の言葉』(パイインターナショナル)『写真のフクシュウ 森山大道の言葉』(パイインターナショナル)『上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史』(星海社新書)など。
「見える未来文化研究所」の共同編集長。
この連載について About Serial
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