♯1「リアル店舗」にとってChatGPTは脅威になり得るのか

特集

ウェブメディア「MD NEXT」の鹿野編集長に寄稿いただいた連載コラムの第一弾、テーマは【ChatGPTの登場が与える小売業界への影響】。

本連載では、小売業界の方や、より深く小売を学びたいという方に向け、時事ニュース、テクノロジー、原理原則などをおりまぜて解説し、業界に対する理解を促すものにしていきたいと思っています。

店舗で働かれている方はもちろん、卸しメーカーさんや、リテールサポート業の方にも読んでいただける内容です。

連載一回目のごあいさつ

はじめまして。ウェブメディア「MD NEXT」編集長の鹿野と申します。この度、現場DXサイトで小売業に関する連載コラムを執筆することになりました。

私の経歴についてちょっとだけご紹介させていただくと、この業界への入口は、商業界という老舗出版社(2020年春に倒産)の編集記者でして、月刊「商業界」、月刊「食品商業」誌で数々のチェーンストア店舗や経営トップの取材をしてきました。同時に、店の見方や小売業の原理原則、チェーンストア理論などの体系を学んだのも、この時期です。

それ以来、チェーンストアビジネスのシステム面での奥深さ、人間的な泥臭さ、そして何より生活に直結した産業であるという点に魅せられて、20年近くこの業界で仕事を続けています。

このコラムでは、「MD NEXT」の制作過程や、「月刊マーチャンダイジング」の取材を通じて、不肖わたくしこと鹿野恵子が感じたこと、考えたことをおもしろおかしく紹介していく予定です。

 「MD NEXT」は主に小売業、とくに店舗で働く人にむけ、業界の最新動向と原理原則を伝えるウェブメディア。創刊25周年を迎えた「月刊マーチャンダイジング」のウェブ版として2018年にスタートして以来、多くの読者に愛読されています。

「ChatGPT」の登場が小売業にもたらすもの

「ChatGPT」とは?

さて、小売業界であるかどうかにかかわらず、デジタル関連の2023年上半期最大の話題といえば、「ChatGPT」の登場と急速な普及でしょう。

Chat GPTのイメージ図

OpenAIが提供する「ChatGPT」というサービスは、日本語で質問を入力すると、どんな質問にもインターネット上などのデータを元にAIが非常にわかりやすく日本語で回答してくれます。

ときどき思いっきり間違った回答を提示されることもありますが、質問の仕方を工夫することで回答の精度も上がり、驚くほどスムーズに自分の疑問が解消されていきます。

これはLLM(Large Language Models=大規模言語モデル) という、大量のデータによってトレーニングされた自然言語処理のAIモデルの技術を利用したもので、今後さまざまな分野で展開されることが期待されています。

LLMを巡る国内外の「企業の動き」

MicrosoftはChatGPT開発元のOpenAIに1兆円以上という巨額の投資を行っており、Microsoft Officeなどの自社プロダクトにその技術を展開しつつあります。それに対抗し、Googleは「Bard」というLLMサービスの提供を開始。テックカンパニーの2大巨頭がサービス合戦を繰り広げていることからも、世間的な注目度の高さがうかがい知れることでしょう。

さらに、このLLMの仕組みを利用して、さまざまな企業が新規事業を発表しています。

自社が持っているマニュアルや業務履歴データなどをLLMにインプットすることで、オリジナリティの高いサービスを構築したり、日本語で入力した指示を、テキスト以外の形式のデータとして出力するというような機能を活用しているのです。

たとえば、法律相談サービスなどを提供する「弁護士ドットコム」は、ChatGPTを使って一般消費者むけに法律相談や契約相談のサービスを展開すると発表しました。

また、木製製品のデザインからパーツに加工するまでの工程を、オンラインで完結できるクラウドサービス「EMARF」は、ChatGPTの仕組みを採用することで、日本語で指示を出せばその通りの家具の設計データを作成してくれるサービスを開発しています。

「EMARF AI」デモ動画 – EMARF

サービスのティザー動画では「シンプルでシュッとした感じのスツールを作ってください」「それを身長130cmくらいの子供が座りやすいサイズに調整してください」「二人分座れるくらいのサイズのスツールにしてください」とテキストで入力すると、その通りに設計データが生成されています。日本語の命令から設計データが生み出される様子は、まるで魔法のようです。

筆者もLLMを使ってみました

筆者も思考実験として、このLLMの技術を小売業において活用するアイデアを執筆しました。

少し想像してみただけでも、ここにも、そこにも、あそこにも適用できるのでは…?と夢が膨らんでしまう、あらゆる可能性が想定できる技術です。活用方法は無限大といっても過言ではないでしょう。

一方で、小売業の長い歴史の中ではこの技術の普及が「リアル店舗への回帰」の引き金になるのではないか、とも考えます。

デジタル投資に息切れする企業たち

ここ数年、小売業はDXを進めるべきという論調がメディアを賑やかし続けています。「顧客満足度を上げるため、生産性を高めるために、デジタル化を進めるべきである」。

この企業がこんなツールを導入した!あの企業はデジタル人材を〇名採用した!こんなアプリを使わないと遅れている…!毎日のように新しいニュースが飛び込んできます。

同時に、こうも感じています。現在のDXのやり方には億単位の投資が必要であり、DX人材と呼ばれる優秀な社員も必要です。メディアが煽るような大規模システム開発に追従しようとして、息切れしている企業も多いのではないかと。

なかにはシステムの更新に失敗して、サービスを長期閉鎖しなければならなくなったというような事案もポツポツ耳にするようになりました。

システム投資コストの削減につながるLLM?

LLMによってもたらされる恩恵には、学習コストの低減や、システム投資コストの削減が考えられます。

たとえば筆者は、プログラミングについてそれほど詳しくないのですが、LLMに質問をしながら自分で使いたいような簡単なアプリ(授乳時間の計算アプリ)をJavaScriptというプログラミング言語で制作し、ウェブ上に公開することに成功しました。

私の話はあくまで趣味の範囲ですが、企業に勤める人がLLMに質問をしながら、自分が使うためのツールや業務システムの一部の構築に参画するようなことも、今後一般化していくように思います。

社員がLLMのアドバイスを受けながら手を動かして、システムを構築するのが一般化し始めれば、これまで億単位で提供されていた情報システムの低価格化が徐々に進むかもしれません。(もちろん、今すぐにという話ではありませんし、自ら作る気概と意欲が必要とされますが…)。

さらには、綿密な設計の上、大型投資をして導入されるトップダウンのシステム開発から、現場の工夫が積み重なったボトムアップのシステム化へと地殻変動が起きていくのではないか?というのが筆者の見立てです。

LLMを使ったツール開発に関して、具体的にどんなことができるのか、一例ですが参考になる記事をご紹介します。

(参考記事)ChatGPTでプログラミングのフラット化がはじまっている – ASCII.jp

LLMの登場で変わること、変わらないこと

デジタル化だけでは競合に勝てない時代

このような変化を背景に、ECや、1to1のマーケティングツール、顧客と店をつなぐアプリ、ポイントプログラムなどは小売業にとって当然のインフラとなることでしょう。様々な店舗業務や接客、在庫管理なども、さらなる効率化が図られるはずです。

デジタルの分野で小売業が差別化をするのは非常に難しくなるように思います。いわば、デジタルツールのコモディティ化です。

競合に負けないためにも、LLMの積極的な導入は求められていくでしょう。

店舗が持つ価値はどうなる?

LLMの登場で、たとえばレジ打ちや、販売実績データに基づいて自動的に棚割を作るような仕事が機械に置換されるようになったとしても、「人間の生活に必要なものを、ある意思をもって品揃えして販売する」という小売業の本質的な仕事はなくならないはずです。

店舗の植物販売エリア

商品を実際に手に取り、重さや大きさ、質感を確かめる。雰囲気の中で、最適な商品を選択する。悩みを対面で人に聞いてもらい、アドバイスを受け、自分のしらない複数のアイテムのなかから選択する。近所の店までちょっと足を運んで、今すぐ必要なものを安価に手に入れる。

デジタルでの差別化が難しくなる近い将来、リアル店舗がもつこれらの普遍的な価値こそ、これからの小売業が大切にしなければならないものではないでしょうか。

これまで以上に、リアル店舗が持っている「地域」「人」「商品」「店舗」に改めて脚光が当たるのではないかと思っています。

店舗という拠点が持つ新たな価値に注目

今後は、リアルとデジタルのハイブリット型店舗が重要になることでしょう。2023年1月にアメリカで行われた小売業の展示会「NRF 2023:Retail’s Big Show」では、実店舗の強さが再認識され、「フィジタル」という概念が紹介されていたそうです。このフィジタルという概念も、リアルとデジタルのフュージョン(融合)と考えられます。

この春、アメリカで取材をした編集部のメンバーによれば、ウォルマートの「カーブサイドピックアップ」のレーンには大行列ができるほどの盛況だったそうです。

「カーブサイドピックアップ」とは、アプリで注文した商品を、店舗駐車場そばのピックアップレーンから車を降りずに受け取れるというもの。お客様は店舗に立ち寄ることもできますし、スマートに商品だけ受け取って帰ることもできます。広い店内で目当ての商品を探してうろうろする必要もありません。これも店舗というリアルな拠点があるからこその事業と言えます。

さらに、リアル店舗はお客様が訪れるため、購買行動のすべてをデータ化することができるというのも大きな価値があるでしょう。店頭の顧客行動を取得し、分析する。新しい価値が店舗という資産に見出されています。

たとえば、近年低価格化が進むクラウド型AIカメラを店頭に導入することで、リアル店舗の顧客分析に着手する企業も複数登場しています。実証実験が盛んにおこなわれ、食品スーパーマーケットやドラッグストアでは結果を出している企業も増えてきました。

遠隔からサイネージなどを通じて、美容部員や薬剤師、管理栄養士が店頭を訪問したお客様に接客を行う…そんな未来も想像できそうですし、実際に導入している企業も登場してきました。

LLMの登場はより人とリアル店舗の価値を高め、長期的に見れば人間にしかできない仕事に注力できるきっかけになるのではないでしょうか。


(著者プロフィール)

株式会社プレーンテキスト 代表取締役
「MD NEXT」編集長
鹿野恵子

小売・ITライター、編集者。1978年仙台市生まれ。2001年早稲田大学法学部卒業後、アスキー、商業界、ITベンチャーを経て、2015年に制作会社プレーンテキストを設立。現在、流通小売業向けWEBメディアの「MD NEXT」(運営:ニュー・フォーマット研究所)編集長。流通小売業とテクノロジーを軸に執筆活動を続けている。編著書「リアル店舗は消えるのか?」(日経BP)

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